日本のミケランジェロ 石川雲蝶の足跡を巡る

江戸時代の末に活躍した木彫りの名工、石川雲蝶。日本のミケランジェロと称され、新潟県内各地に多くの作品を残しています。謎に包まれた雲蝶の人物像と圧倒的なまでに美しい作品の数々が南魚沼に現存しています。現在、市内では2か所で作品をみることが出来ます。作品は木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、どれをとっても雲蝶の世界観がダイナミックに表現されています。150年を経てなお人々を魅了する、石川雲蝶の足跡を南魚沼で辿ります。

龍谷寺

本堂の廊下に入ると、本地のまま僅かに着色しただけの透かし彫りの欄間があり、右から獏が二頭、麒麟が二頭、さらに牡丹と唐獅子が二場面彫られています。室内入口の欄間二間に得誠和尚の行履(あんり)を伝える彫刻があり、その裏側は葡萄の木に朝顔がからみ、蜂と蝶をあしらった簡素で上品な趣のある浮彫になっています。

重厚感と迫力、かと思えばモチーフをやさしく表現する繊細さと鮮やかな彩色。その美しさに魅せられ、思わず作品の前に立ち止まってしまいます。 各地に多くの作品が残されているにもかかわらず、雲蝶本人については謎に包まれており、記録がほとんど残っていないためか逸話も多く、実にミステリアスです。

穴地十二大明神

穴地の鎮守様。石川雲蝶策の向拝の竜を見上げ両脇の獅子が力強く動きのある姿で彫られています。向拝の後ろの手挟み(たばさみ)には「竹と虎」「松と鷹と雀」が彫られている。拝殿の中の欄間には源頼光の「大江山の酒天童子退治」物語と源頼政の「鵺退治」がノミを当てる見当の墨がついたまま未完成で残されています。なぜ完成できなかったのか、興味の湧く作品です。

雲蝶は文化11(1814)年に江戸の雑司が谷に生まれ、本名を安兵衛といいました。石川流の彫物師として知られ、同じく名工といわれた小林源太郎とともに越後へやってきて、三国峠の三国権現社において金剛力士像の競作をしたと伝えられています。その後、三条の酒井家に婿養子に入るのだが、「良い酒と鑿(ノミ)を終生与える」との条件で越後入りしたとの話や、永林寺の作品を残すきっかけが賭け事だったという話もあり、破天荒な人物像が思い描かれます。

ご案内

龍谷寺

位置
南魚沼市大崎
交通
浦佐駅からクルマで15分、五日町駅からクルマで10分、大和スマートICから7分
駐車場
普通車可
ガイド
有(有料。観光ガイドの会へ3日前までに予約)

穴地十二大明神

位置
南魚沼市穴地
交通
浦佐駅からクルマで20分、大和スマートICから10分
駐車場
普通車可
ガイド
有(有料。観光ガイドの会へ3日前までに予約)

お問い合わせ

大和観光協会 025-777-3054