うっそうとした杉並木に囲まれた八海神社は、
「クニサヅチノミコト」、「ニニギノミコト」、「コノハナサクヤヒメノミコト」
を中心に9柱の御祭神をおまつりしています。
参道杉並木は、1836年に起きた大干ばつにより、水源かん養林造と景勝保全のため植林されたものです。その杉の多くが夫婦杉と呼ばれ、ひとつの根から2本の幹が仲良くよりそう姿をしています。ニニギとコノハナノサクヤヒメが夫婦である事から、夫婦和合の象徴として伝えられています。
また、地元の氏子上村家より奉納された子持ち安産石は、長く地域の女性の安産を見守ってきました。諸祈願をはじめ、特に夫婦和合と子宝安産を願い、多くの参拝者が訪れます。大晦日にはお焚き上げの大きな火に照らされながら、参拝者は朝まで列をなしています。
坂戸城跡(さかどじょうあと)は、六日町盆地を流れる魚野川と三国川の合流点に向かって半島状に突出す標高634mの坂戸山に築かれた山城です。北・東・西の三方は急峻で、西裾の魚野川が自然の防御線となっており、中世の山城の姿をよく残していることから、昭和54年(1979)に国の史跡に指定されています。
この地域はかつて上田庄(うえだのしょう)と呼ばれ、戦国時代には上田長尾氏が支配していました。上田長尾氏がいつから坂戸を居城としたかは不明ですが、永正年間(1504~1520)には山上の郭を整備したようで、現在の新潟県上越市・春日山の上杉謙信が越後を支配すると、坂戸城は春日山城の支城となりました。謙信の死後、長尾政景の子 景勝は、北条氏政の弟 景虎と跡目を争います(御館の乱(1578年))。景勝のお膝元であり関東の玄関口である上田庄の城は北条方を抑える重要な役割を担いました。
慶長3(1598)年に上杉氏が会津へ移ると坂戸城には堀直竒が入ります。現在目にすることができる居館跡や御居間屋敷などは、この頃に整備されたものと考えられます。しかし、慶長15(1610)年に堀氏が飯山に移ると坂戸城は廃城となりました。
〒949-6363
新潟県南魚沼市下一日市855(道の駅南魚沼)
TEL:025-783-3377 FAX:025-783-3388
新潟県南魚沼市浦佐719-2 上越新幹線浦佐駅2階コンコース
TEL:025-775-7244