観る

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十二番霊場として、ますます観音信仰が広まったのは、寛元年間頃(1243~)北条時頼により越後観音礼所に定めらたことによると伝えられています。
寺宝の「木造観世音菩薩坐像」、「木造持国天」、「木造多聞天立像」は、県の文化財に指定されています。
天昌寺は雪国の風土を記した江戸時代のベストセラー『北越雪譜』の「寺のなだれ」の舞台にもなっています。

県指定の天然記念物で推定樹齢200年のオハツキイチョウがシンボル。江戸時代の大ベストセラー『北越雪譜』の著者である鈴木牧之の菩提寺でもあります。

毘沙門堂は、約1,200年前に四道将軍坂上田村麿呂により建立(昭和6年炎上、再建)され、守護仏毘沙門天王をまつる。なお、堂内は、日本三大奇祭「裸押合大祭」の押合いの場ともなる。山門は、日光の陽明門を型どったと言われ、総けやき造りで、豪華な彫刻で飾られている。仁王門階下の天井の双龍の図は、江戸下期を代表する絵師谷文晁の力作。また、楼天門天の吉祥天女24枚画(板谷桂舟作)も有名。

群馬県利根郡みなかみ町曹洞宗獄林寺の末寺。宝暦10年(1760)に再建された本堂は豪雪地帯における代表的禅建築として有名。慈雲閣観音堂はインドグプタ王朝様式を取り入れて昭和40年に完成しました。堂内に安置されている十一面観世音菩薩は村上市出身の日展審査員故山脇敏男氏の4年間の心血を注いだ力作です。

信仰の山八海山を祀っており、高さ8.5m、柱の直径70cm、笠木の長さ6mの大鳥居は御影石造りの一枚岩の鳥居としては日本一といわれていまう。
7月1日の山開きや10月20日の大火渡祭には、信者や愛好者で賑わう。

うっそうとした杉並木に囲まれた八海神社は、
「クニサヅチノミコト」、「ニニギノミコト」、「コノハナサクヤヒメノミコト」
を中心に9柱の御祭神をおまつりしています。
参道杉並木は、1836年に起きた大干ばつにより、水源かん養林造と景勝保全のため植林されたものです。その杉の多くが夫婦杉と呼ばれ、ひとつの根から2本の幹が仲良くよりそう姿をしています。ニニギとコノハナノサクヤヒメが夫婦である事から、夫婦和合の象徴として伝えられています。
また、地元の氏子上村家より奉納された子持ち安産石は、長く地域の女性の安産を見守ってきました。諸祈願をはじめ、特に夫婦和合と子宝安産を願い、多くの参拝者が訪れます。大晦日にはお焚き上げの大きな火に照らされながら、参拝者は朝まで列をなしています。

坂戸城跡(さかどじょうあと)は、六日町盆地を流れる魚野川と三国川の合流点に向かって半島状に突出す標高634mの坂戸山に築かれた山城です。北・東・西の三方は急峻で、西裾の魚野川が自然の防御線となっており、中世の山城の姿をよく残していることから、昭和54年(1979)に国の史跡に指定されています。
この地域はかつて上田庄(うえだのしょう)と呼ばれ、戦国時代には上田長尾氏が支配していました。上田長尾氏がいつから坂戸を居城としたかは不明ですが、永正年間(1504~1520)には山上の郭を整備したようで、現在の新潟県上越市・春日山の上杉謙信が越後を支配すると、坂戸城は春日山城の支城となりました。謙信の死後、長尾政景の子 景勝は、北条氏政の弟 景虎と跡目を争います(御館の乱(1578年))。景勝のお膝元であり関東の玄関口である上田庄の城は北条方を抑える重要な役割を担いました。
慶長3(1598)年に上杉氏が会津へ移ると坂戸城には堀直竒が入ります。現在目にすることができる居館跡や御居間屋敷などは、この頃に整備されたものと考えられます。しかし、慶長15(1610)年に堀氏が飯山に移ると坂戸城は廃城となりました。

金城山の山麓にある禅寺で越後曹洞宗四大禅寺の一つ。境内は多数の観音、10メートルの佛舎利塔、樹令300年以上の老杉に囲まれ、霊場にふさわしい雰囲気をかもし出しています。また、上杉家の菩提寺だっただけに、上杉家にまつわる宝物や史実を証明する貴重な古文書も数多く保存されています。「雲洞庵の土踏んだか」という言葉がありますが、これは一字一石にお経を記し、埋められた赤門からの参道を踏んでお参りすると、仏の御功徳が身につくという言い伝えからきています。

天正5年7月、上杉謙信公から、上杉軍関東征旅の宿城・樺沢城を護る龍澤寺宛に「門前五間」の御朱印状(市指定文化財)を賜っています。ほかに景勝公の奥方菊姫護身用の薙刀やゆかりの品々も、訪れる人々に、歴史を如実に静寂の語りかけをしています。
現在の堂宇は、江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の時代、元文2年(1737)に再建されたもので、魚沼三十三番霊場の第二十三番礼所にもなっています。

一宮神社は江戸時代から百姓の神、農作の神として信仰され雪の深い魚沼の村々から川を越え、峠を越えて雪道を遠しとせずに大勢の人々が参拝に訪れました。
そこに物々交換のような形で、集まってくる人が持参してたものを売買するようになり、明治時代以降は益々盛んになって、毎年盛大な市が立つようになりました。
市は、大里地区の入口から参道や境内まで、竹細工・わら細工・木製品・飲食・植木などの店が所狭しと立ち並びます。

曹洞宗宝林寺の伽藍守護神として創立。紀元2600年記念大増改築の際、横山大観、山本五十六ら各方面一流の人達の書画69点が格天井として献上された。

関興寺では、禅寺の生活に味噌は欠かせないと、修行僧のためにたくさんの味噌を作り蓄えていました。天正6年(1578)に起きた御館の乱では、上杉謙信より寄進された600巻におよぶ大般若経を、そうした味噌桶の中に入れ守ったと伝えられています。以来、この味噌をいただくとご利益が授かるとされ「関興寺の味噌なめたか」という言葉が生まれました。上杉家ゆかりの宝物、古文書など随時展示されており、季節の花やスギ苔が美しい庭園は必見です。

(一社)南魚沼市観光協会

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